【追悼】高橋幸宏と石鯛釣り 
高橋幸宏(2020年、釣具新聞)

 ミュージシャンの高橋幸宏が亡くなった。謹んでお悔やみ申し上げる。高橋といえば80年代を代表するテクノポップグループ「YMO」のドラマーであったことが有名である。YMOは40代半ばである筆者にとってど真ん中の世代ではない。だが80年代に「ラストエンペラーのテーマ」でアカデミー賞を受賞した坂本龍一の存在を知っていたのと、ちょうど高校2年生の時にYMOが復活する(93年)タイミングで過去のベストアルバム「シールド」(84年発売)を聴いて以来のファンである。オリジナルアルバムは大学生の時によく聴いた。当初はライディーンなどのメロディが際立つ楽曲を中心に聴いていたのだが、聴き込むうちに徐々に深みに嵌っていき、サンプリング音でリズムを刻んだ楽曲が続く「テクノデリック」が筆者にとってのベストなアルバムである。

 彼らの魅力とは一体なんだったのだろう。それは音楽性だけでないということは確かだ。私は彼らの音楽の魅力にすっかり虜になっていたということもあったが、93年のYMO再結成の時は当時マスコミが大騒ぎをしていて、いわゆる音楽雑誌や流行雑誌だけではなく、朝日新聞やNHKといったお堅いメディアも一斉に報道していたことに衝撃を受けた。彼らのことをただのミュージシャンではなく文化として取り上げていたということへの驚きだった。

 音楽を音楽としか感じとることができない青臭い高校生だった私には理解が追いつかなかったが、人に影響を与えるということはこういうことなんだとその後の私の行動によって理解できた。ピアノの演奏もできないのにシンセサイザーを買いあさったりサンプラーを購入して日常音を使った宅録を行ったりといつの間にか彼らがやってきたことを真似していた。総じて音楽的な影響はかなり受けた。

 坂本龍一の強いキャラクターが目立つグループだったが、リズムセクションを務める細野晴臣と高橋幸宏がいなければYMOは存在し得なかった。それは同時並行で発表していた坂本のオリジナルアルバムを聴けばYMOとの違いがよくわかるからだ。

 ところで高橋幸宏といえば趣味が釣りということで有名でもあった。中でも石鯛釣りについてはベテランの域に達している。高橋幸宏と釣りとの関わりについてまとめてみた。

高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)音楽家

1952年東京生まれ。1972年、加藤和彦率いるSadistic Mika Band に参加。1978年に細野晴臣、坂本龍一とともにYellow Magic Orchestra (Y.M.O.) を結成。ソロとしては、1978年の1stアルバム『Saravah!』以来、2013年の『LIFE ANEW』までに通算23枚のオリジナル・アルバムを発表。ソロ活動と併行して、THE BEATNIKS、SKETCH SHOW、pupa、METAFIVEなどさまざまなバンドで活動。趣味は釣りで、底物のイシダイ釣りが40年以上、フライフィッシングは20 年以上という長いキャリアを持ち、「東京鶴亀フィッシングクラブ」会長。著書に『偉人の血』(鈴木慶一共著:パルコ出版)、『犬の生活』『ヒトデの休日』(共にJ I C C 出版局)、釣り小説『キャッチ&リリース』(大栄出版)、『心に訊く音楽、心に効く音楽』(PHP研究所)など。

https://fishingcafe.shimano.co.jp/seriescontents/vol_10/

音楽仲間からも高橋の釣り好きは知られたことであった。後輩から釣りの誘いもあったのだろう。

高橋幸宏と石鯛釣り

(2020年(一社)日本釣用品工業会;2020年「ロイヤルアングラー賞」受賞時の高橋幸宏氏 出典=釣具新聞)

 高橋といえば晩年はよくメディアに登場してフライフィッシングなどをやっていた。北東北のエリアが好きで実際にフライでよく通われていたのだろうが、40代ぐらいまでは石鯛の釣りクラブに所属してYMOとしてバリバリ活動していた30代〜20年ぐらいは伊豆で石鯛釣りをしていた。自分と交流のあるミュージシャンを誘っていた様子がうかがえる。若き日の高野寛が高橋に誘われていたようで、インタビューにはこうある。

田中 いや、特にメンバーの中に釣り好きがいるわけでもないんです。ただ僕の憧れとして「釣りをいつかやれるような余裕のある人間になりたいな」という願望が前からありまして。

高野 誰かに誘われたこととかある?

田中 今のところないんですね。高野さんはやるんですか?

高野 僕は、(高橋)幸宏さんに誘われて、1回だけイシダイ釣りに行ったことがあるんですよ。一緒に下田に行って。

田中 いいなあ、うらやましい。

高野 それはもう早起きして。イシダイ釣りって岩場に飛び移らなきゃいけなかったりして、けっこう危険なんですよ。がんばってみたけど、僕は何も釣れなかった。その日は全体的にみんな不調で、幸宏さんも1匹釣れたかどうかだったかな。それ以来、誘ってもらえなくなりました。

田中 あははは(笑)。

高野 たぶん「こいつは釣りに興味がないな」っていうのを悟られてしまったんだと思います。でも釣りができるってカッコいいよね。

https://natalie.mu/music/pp/grapevine05/page/3

 1回だけ誘って後は放置というのはよくある手口である笑 興味のあるなしは一度誘えばすぐにわかる。当時を詳しく知る瀬渡し船はどこになるだろう??下田の喜一丸、中木の重五郎屋、手石のひがし丸あたりだろうか?

高橋幸宏とフライフィッシング

 当然のことながら石鯛釣りはパワーを使うのと、先ほどの記事で高野寛が言っている通り渡船自体が危ないのである。だから高齢になればなるほど石鯛からは離れていく。高橋の場合は軽井沢に別荘を建てると同時に渓流釣りにハマっていったようである。

高橋:ぼくはいま、長野県の避暑地に家を建てているんです。もともと釣りが趣味で、もう40年くらいやっているんですが、この20年くらいはフライ・フィッシングがメインなんです。それで敷地に小川が流れてる場所を探して、やっと見つけて、家建てて、残りの人生をそっちでと思っていて。

平野:海釣り派から川釣り派になるって、大きな心境の変化なんですか。どちらもやろうということはないのですか。

高橋:どちらも好きなんですが。海釣りは、ずっとイシダイ専門のクラブにいたんです。イシダイ釣りはヘビーなので、何度も死にそうになりました。そのクラブはミュージシャン、エンジニア、プロダクションの社長など、業界の人たちとつくったのですが、みなさん忙しくて集まるのがだんだん難しくなってきた頃に川釣りに出会ったんです。自然の川と向きあうのもなかなか厳しく、最近は膝がヤバいですけど(笑)。

平野:音楽、ファッション、それに趣味の釣りと、いろんな活動をされていますけど、それはゆるやかに繫がってるんですかね。それとも、かなり違うこととして、同時におこなっているんですか。

高橋:釣りをしているとき、新しい曲とか思いつくんですかって、よく訊かれるのですが、それはまったくないですね。急にあるメロディが頭のなかでループするときがあるのですが、何でこれがいま頭のなかで鳴っているんだろうっていう音楽なんです。たとえば、昔のコマーシャルソングとかね。

平野:音楽や服のデザインを思いついたりはしないんですね。

高橋:ないです。釣りをやっているのは、そういうことを考えなくてすむからです。本能みたいな。夢中になると、お腹もすかないほどですから。

高橋:ぼくも持っていくのは、コンビニのオニギリとかですよ。

平野:終った後、釣った魚を食べるのも楽しみなんですか。

高橋:フライ・フィッシュは、キャッチ・アンド・リリースなので食べないんです。でも海釣りのときは、釣ったあともホントに楽しみでした。下田に別荘があって、そこで友人たちと一緒に調理して食べながらその日の釣りの話をするのはホントに楽しいです。

平野:それは、そういう時間を意識的にもとうとされていたんですか。それとも、なんとなく必要だと身体が感じていたんですか。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58867?page=2

石鯛釣りに必要なアイテムとは? 

  石鯛で何度も死にそうになったと語っている。ところで釣りをしている時は無心になれるという指摘はまさにその通りで、私も釣りの時は何も考えない。心がリセットされる。心のなかにある澱を注ぎ流してくれる、それが釣りなのだ。高橋のことはシマノの釣り番組で初めて実釣を拝見した。もし晩年も石鯛釣りをやっていたとしたらシマノのロッドを使っていただろうか。釣具のブログであるので恐縮ながらシマノの石鯛釣り竿を紹介する。

 シマノ・リアルパワー石鯛。5万円もしない格安ロッドだがこの竿で十分すぎるほど石鯛釣りはできる。

 リールもシマノでお求めやすいものが出ている。

 高橋はどのようなロッドとリールを使っていたのだろう。和竿とかこだわり抜いていたのだろうか。ところでYMO時代にリズムマシンのような高橋のドラムの手捌きは実に繊細であった。一方で石鯛釣りは豪快なイメージがあるので印象としては真逆の存在に映る。だが石鯛釣りは餌の使い方、コマセの撃ち方など手返しが重要で磯上でも一定のテンポを保持することが重要だ。ドラムも釣りもリズムたるや永遠なれ。合掌。

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