金曜日に書いている。翌日は土曜日で休みとなる。今の職場の場合は以前と異なり休みとは完全なる解放を意味する。以前のジブリ的職場は非管理職であれば一人完結型の仕事である。個人は作品を制作して会社に収めそれによって給与を得る。作品はインプットからアウトプットまで自己完結するので時間の始まりと終わりという観念があまりないのだ。
ジブリ的仕事は勤務は平日だが日々の仕事の始まりは曖昧で終わりも曖昧だ。それはだらしないのではなくて設定が無意味なのだ。作品制作には相手もあったりしてそれに合わせるから時に夜中までもある。仕事にどっぷり浸るイメージだ。だから残業という感覚もない。
そして土日は休みだったが休みの日も新キャラの企画やらなにやら色々考えていて土日に思いつくこともありスタバに駆け込んで企画書を書き始めたりと実質仕事をしていた。釣りの時も同じで釣りしながらそういう意味での仕事もしていた。
プライベートと仕事の切り離しがないから、当然のことながらストレスも24時間365日ついて回った。釣りをしながら何やら独り言をボソボソ喋っていたり。その内容は自称執行役員の小役人的振る舞いに呆れたり基地外女子Aとそれを引き継いだ基地外女子Bの気狂いチェーンメールにどう回答するかみたいなところだ。
なぜジブリ的仕事を辞めたのか?仕事は達成感の悦びだけではなくストレスも併存する。以前はその仕事面の悦びが圧倒的に勝っていたからちょっとのストレスも気にならなかった。しかし近年はストレスが優位になり、直近では生じた環境も含めてストレスばかりになった。時間で切れる仕事でないからそれが勤務時間外そして休日もストレスが表れてしまう。そこが辛くなったからだ。
クリエイティブ系の人は急に怒り出したり急にバックレたりする。それは悦びの部分と纏わりついているストレスの落差が大きいからではないかと思っている。こういう仕事を目指す人は仕事の良い面目立つ面ばかりではなくその裏にある苦しみも知っておいたほうがいいかもしれない。
現場が制作した一つ一つの作品を合体化しそれを特定の人達に売る。そんな商売だったが今の私はその特定の人達、かつての客の方に転籍したことになる。ただし以前の会社と取引関係にはなかった。ちょっとだけターゲットが異なっていたからだ。
今の職場は直行直帰は認めない、定期は買ったかどうかコピーまで取らせてチェックする、交通費はICカードで自動精算。そもそもテレワークという概念がない。仕事は職場でするもの、タイムカードはないが自分で帳簿のように記録して提出、無線LANはなく特定のiPadに SIMが提供されてそれで社内回線を使う念の入れようである。職場でスマホを弄る社員もいない。まぁ社員を信頼してないのか、あるいは個人情報を扱うからなのかわからんが。
この辺り緩かった以前のジブリ的仕事と比べれば一般企業としてどれも当たり前なのかもしれないが、やはり管理下に置かれていることを常に感じ続けねばならないという別のストレスはある。以前の職場も管理型に移行しつつあるのだが。今の管理型組織も春からテレワークを試験導入するそうだからどうなるだろうか?ほんの少しの希望はある。