ジブリ的職場からはすでに離れて久しいが、ジブリの世界とは人間関係がまだ繋がっている。所属していたスタジオとは別のスタジオの先輩とは以前に比べてもよく飲みにいくようになってしまっているし、元いたスタジオの大親分から幾度となく連絡があったり、さらにその下の下クラスの方からも会おうとの連絡を頂戴したりと様々なチャネルから連絡がある。

 現職に集中するにはそうした「外野」からの連絡は一切断つべきなのだが、一部引き継ぎが終わらずまだ引きずっているからこのような状態を甘受しているともいえる。と書いたが果たしてそれは本心だろうか。いま冷静になって考えてみるとジブリの世界から離れ良かったことはなんなのだろうかと思ってしまったりする。

 あえて相互の優劣を項目べつに並べ立てれば、現組織は規模のみならず給与、権限、成長性、安定性、なんとなくの世間体、左脳的な仕事内容だがその他多くの観点で優位である。その反面、ジブリ的はどうか。先の視点ではすべて劣後するが給与については低過ぎはしない。加えてスタッフの自由度、仕事の時間的余裕、タスクの少なさ、仕事のクリエイティブ性(右脳活性化)などにおいては優位だ。前者は主に仕事の将来性安定性で勝り、後者は自由で勝る。業種が違うのだから当たり前だ。

 なぜジブリから足を洗ったか。上述のようにそんな比較などしてはいたものの、決定的な要素でいえば感情的に許せなかった部分があったからだ。

 時代の変化への対応が遅れたことと稚拙な経営能力により全盛期に比べ傾いてしまったスタジオだ。これから先も事業の成長性、将来性はあまり見込めない。スタジオの名自体は通っているが過去作品を彩った監督たちは居なくなり若手にスケール感がない。規模の縮小は否めない。

 だからこそ白羽の矢が立ちプロジェクトを進めていた。他所から声が掛かるくらいにはある程度成功した。だが社内的に功績を認められずあげくには日経テレ東チャンネルがごとく外野からの圧力で廃止の憂き目に遭うことになった。実際には廃止までは至らずかろうじて続いてはいるようだが。このような状況に陥ったことが非常にストレスだった。

 一方で感情面でジブリ製作部のプライドを傷つける形になってしまい、手続き的には部署間の調整の話であった。もちろん調整はしたが彼らの感情が勝った。こちらはただ引いてやれば良かっただけだった。引くだけでなくほかに解決策はあったし、むしろ責任者を気取るならもっと解決に力を注ぐべきだった。そこを他者の責任になすりつけていた。

 ロシアとウクライナみたいなものだ。エゴとエゴの戦争に終わりはない。私サイドとしてはジブリ内でジブリしたい気持ちのエゴだ。もしジブリ内でもジブリ外、完全なジブリ外の業務を見つけてそれだけやってれば軋轢は起きなかっただろう。経営者の人柄もあり社内の空気は暗くなりそのままだが、じゃあ他に明るい話題を提供できる何かはあったのだろうか?

 結局のところジブリによるジブリ本道の仕事をしたかったのにやれなかったことに対する腹いせ、それだけではなかったのか。将来1人でやる、独立して○○するなんて後付けの屁理屈ではなかったか。誰に何の得があったのか。振り回された周りが迷惑を被っただけではないのか。

 そう思うに至った直接のきっかけは土曜日の釣りに前日金曜テレワークみたいな仲間がおり心底羨ましく思えてしまったからだった。本当に私はブレまくりのダメな人間である。下らないと思っていたことが見方を変えるだけで珠玉に見えたりもするという、当たり前で稚拙なことだ。

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